2012年9月30日日曜日

イノシシBBQ

窓の外は台風17号が一時間くらい大騒ぎしていたが、今は嘘のように静か、さっき東京にいる妻からこっちに来てる感じ…と電話があった。
また彼女は、沖縄普天間基地でオスプレイの基地配備に反対している人たちのこと…基地前で座り込みの阻止行動をしている市民を日本のマスコミは完全に無視していることを嘆き怒っていた…外国で起こるこの手のニュースは報道しても、日本の市民が機動隊に排除されけが人が出ていても触れない…ずーっと大本営からの情報を受け流している日本のジャーナリズムって何!?と悲しい気持ちになる…。

さて今日は一日遅れではあるが、どうしても昨日の話しを書きたくてブログの前に座った…。
昨夜の夕飯は何かの記念日か誰かの誕生日のように、突然訪れた野外パーティのようになった。
明日は台風がきて大雨が降り、アートプロジェクトの「巨大アートかかし展」で使う為に小原の農家の皆さんが残しておいてくれたワラ(晴れた日が続きやっと乾いた)が台無しになる!…とにかくワラ集めは昨日しかないというタイミングだった。
午前中から作家の鈴木君、小澤君と小原在住のデザイナー流嶋さん、彫銀作家のまりちゃん、それに僕の5人で旭の良ちゃんから借りた1トントラックと軽トラをフル稼働させて
田んぼをまわり夕方までに軽トラ7台分のワラを積み降ろしした。
途中僕が小原のスーパーマンと呼んでいるおじさん吉村さんが合流し、「アソコの田んぼの川にイノシシが血抜きのために浸けてある、みんなよく働いたんで今夜はイノシシでBBQやろうや…」との提案〜我が家でイノシシを解体し、そのままBBQに突入した。
パフォーマンスアートをしている桜井さんや、まりちゃんの同居人のタクミ君も加わり賑やかな和やかな夕食会が始まった。
まずはイノシシの解体から、20キロくらいで生後6ヶ月の小型で、時期も冬だともっと油がのってうまいそうだが、目の前で皮をはぎ、ここは背ロース(やっぱり油が少ない…)
肉のついたあばら骨(いわゆるスペアリブ)、にわとりの
10倍くらいあるもも肉、少ししか取れない腹ロース(これは吉村さんが明日炒めて食べなさいと家主の僕だけにくれた)、30分もかからず見事な出刃包丁さばきでお皿に肉が盛られた。


   
解体の終わる頃には炭もしっかりとおきて、そのままBBパーティになだれ込む〜絶品はもも肉のロースト、柔らかくてジューシー、ほど良く焼けたところを鈴木君が手際よくスライスしてくれる、それをおろしニンニクを入れた醤油につけ食べるのだが…。
これは全員が一口食べるなり「美味い!」を連発した…吉村さんの話しでは腹をさばく時に膀胱と腎臓を破らないようにすることがいちばんのポイントだそうで、失敗すると肉が臭くなって食べられない…とのこと。
BBQが終わった時、イノシシさんは見事に完全に一匹丸ごとみんなのおなかに入り、ほとんどお肉だけの夕食だったが、あとかたも無く頂いた気持ち良さ…ちゃんと君の命を全て糧にさせて頂いたよ…感謝。

〜このパーテぃのBGM〜
青森県八戸出身の吉村さんに敬意を表し「みちのくの民謡」アルバム〜キースジャレット「ケルンコンサート」〜インドネシア「スンダガムラン」…。
*夜、庭で大きな音を流し、火をたきBBQ…これもまた田舎でしか出来ないよね…。

2012年9月27日木曜日

今頃モンゴルは…

もう4年前になるか、いよいよ小原に引っ越すぞ…という頃
八ヶ岳の野犬の群れで生まれ、山の中で死にかけていた生後2ヶ月の子犬をネットの「捨て犬の里親募集」というので見つけ、もらい受けることも決まり、犬を飼ったらもう長い旅には行けないだろうとモンゴルに行くことを決めた。
丁度9月の今頃だったと思う、日本はまだ暑かったし冬に入る前のモンゴルは北海道みたいな感じがしていい季節かと思ったのも決める理由のひとつだった。
以前モンゴルへ行った時に出会い、その後しばらく日本にも留学していたジゾ君に連絡しそちらへ行くので一緒に旅しようと誘ってみた。
彼はモンゴル第二の都市ダルハンに住んでいて、首都のウランバートルが好きでない僕にはほどよい街だ。第二の都市といっても人口は10万人くらい、首都UBから北へ250キロ
もう少しでロシア国境の静かな街だ…行ったことはないが何故かロシアっぽい空気の建物が多いのもうなづける。
ジゾは車で空港まで迎えに来てくれるというので甘えてお願いした。
ジゾはおやじさんと2人空港まで来てくれ、そのままダルハンに向かう、外灯もなく車も走ってない250キロの夜道を行くのだが、途中に街はなく、町が3つ、村が5つくらいでほとんどが闇の中を走行する…たしかに1平方キロに2人という人口密度ではうなづける気がする。(ちなみに日本の4倍の国土に人口280万人、その半分近くがウランバートルあたりに住んでいる)
およそ3時間でダルハン着、その夜はホテルを取ったがバスルームのタイルのキッチュさ?にビックリ…連れ込みでもなんでもないホテルだよ。

夜の寒さは想像以上だったが日中は冷たい風で体がシャンとする心地いいさわやかさのダルハン9月。丘に登って見たダルハンの街。


今夜徹夜して書かないと終わらないモンゴルの旅、続きはまた今度にしよう。タイトルは「ニッサン・サニーカリフォルニアの旅」理由は…もう大変だったんだから…。

2012年9月26日水曜日

ヴァンモリソンな夜

夜中の11時過ぎに大きな音でヴァンモリソンを聴きながら明日やることを頭の中で整理している。
街の中、よっぽどな邸宅で音響ルームでも持ってないとこんな音はだせないだろうな…おまけにさっき外に出たら少しふくらんだクリアーな月とそれに負けない白鳥座の十字架が並んできれいだった、懐中電灯なしで山道が歩けるくらいの月の光が青く周囲を浮かび上がらせている。
満月の日は山の稜線を境に夜空のブルーと下界の淡いブルーとで海の中にいるかのような「青い世界」になる。
13夜がいい天気なら素晴らしい世界をトリップできるだろう…。
そんな夜、今日はあと少しで終わる…どんな一日だった…
腰はちょっとよくなったみたい…明日は加藤さんちの田んぼに乾かしてあるワラを取りにいけるかな、乾いてるといいな
…昨日切った杉の枝も落とさなくちゃ…畑のオクラが固くなる前に採っておかなくちゃ…土手の草刈りもぼちぼちだよ…
「あぁ〜」もう整理できないや、結局は体調と天気と気分次第で明日も一日があるんだろうな。
それにしてもヴァンモリソンのボーカルは心と体に突き刺さってくる、アレンジはロックベースに弦楽器から管楽器まで多様にからまってるがよくこんなに整理できるなというくらい大人で自由だ。歌はそれにのって自由に飛び回っているが、頑固なまでにこだわりにストイックな人だと思う。
「孤立」って「ひとりたつ」って書くけど、この人はそんな人なんだろう…彼の<ASTRAL WEEKS>というアルバムお薦めです…今、全8曲が終わり、急に外で鳴く虫の音だけが静けさを際立たせ、ホント静か…。
ハナとキノコはソファでもう眠ってしまった…明日、ワラだけは何とかしよう…おやすみなさい…。

2012年9月24日月曜日

腰にきた!

「あぁ〜ぁ…今日は久し振りに腰にきた!」今僕は11月に小原で開催される<里山アートプロジェクト イン おばら>の手伝いをしている。立場がはっきりしないとものごとが動かないので(何であんたが〜言うの?という具合に…)、
一応の立場はプロデューサーとして村おこしのボランティアをしている訳だ。
小原ので<アート>といっても「引っ越しセンターか…」と
言われるのがオチだし、僕の気に入っている作品は見る人によれば「こんな大きいゴミどうするの?」と言われてもしかたがない。
ようは感じればアートになるし、感じなければゴミである存在がアートというものの宿命だと思っているので、それを大上段から<アート>でござる…という気はさらさらない。
プロデューサーを引き受けた時「祭りにしていいならやらせて…」ということでOKをもらい、みんなでよってたかってアートという祭りをやることになった。
あらためてこのアートイベントのことは紹介したいし、是非
一緒に「よってたかって」の一人になって頂きたいと思う。
今日はその件で「腰にきた」話し…作品づくりの前準備で作品でつかう材料調達作業およびその関連のまるっと一日の出来事は…。

①朝、家の横の杉林の間伐作業のために腰まで伸びている下地の草刈りから始まる。

②チェンソーの調整をして林に入る。これは作品で使う間伐材とクイを作るための細めの間伐材を調達するためだ。

③適当な木を探し、間伐作業…しかし木が込み入りすぎて切っても、上の枝がからんで倒れない、切れているのに押しても引いても倒れてくれない。
プロのおじさんの言ってたとおり「これは素人がやれる林じゃない…ダルマ落としみたいに下からじょじょに切り落としていかないと…」を思い出し、短く下へ落としながら…を
やってみたが、その際、腰にへんなチカラを入れたみたいだ〜しかし4本ほど無理無理に倒した。

④豊川から若い平山君という石彫の作家が登場、彼に後をまかせ、午後から近くの集会所でのおばぁちゃん達の集いに二人の女性作家(敦木さんと田中さん)を紹介しに行く。
*二人の作家はおばぁちゃん達とコラボするため…

⑤おばぁちゃん達の昔話などで楽しいひとときを…

⑥3時過ぎに戻った時は平山君がひとりで予定の間伐作業を終えていた…若さって凄いぞ…。

⑦4時頃、2日前に切った竹を敦木さん、田中さんと3人+ハナとキノコで旭の良ちゃんに借りた1トン車に積み込み作業へ…「あぁ〜ぁ腰が痛い…」で積み、アート・フェスティバルの会場「松月寺」まで降ろしに行く。

⑧作業終了…やっとハナとキノコの散歩…会場周辺の田んぼ〜川沿いの土手歩きおよそ一時間〜家に帰る。

という今日一日、季節の変わり目もあり腰痛持ちの方は要注意な時節「皆さん、ご自愛を…」

*間伐したのは写真後方の杉の林、手前は掘った池(近くの小川で友人が釣ったハエが5匹、イモリとカエルがいる)
その向こうが60歳の還暦記念に廃材をもらって来て、ほぼ一人で作り上げた総工費8万円の「東屋」




2012年9月23日日曜日

今日の雨

少しこ寒くなり蒲団に包まれて、もうちょっとこのままでいようという眠るでもなく起きている訳でもない波際にいるような朝。外は雨が降っているようだ…屋根のトタンに落ちて来る雨の音はやさしく静かなサウンドを届けてくれている。
やさしく気持ちのいい秋雨の響き…ここのところ雨といえば
カンボジアやインドにいるのかと思ういきなりの激しい亜熱帯スコールで、重い空からいきなりぶつけられるストレス発散のカンシャク玉ようだった。
その勢いが畑や土手や道ばたの草たちをいっきに元気づかせ
あれよあれよの草ぼうぼうにさせていたにちがいない。
この夏の雨がハードロックなら、今日の雨はバラードだ…空も重くない、さっきから雨音にまじっていく種類の鳥たちのかわす鳴き声がかぶってきた…静けさに生きて行く命を吹き込んでいる。
君たち「もう秋だよ…」と声を掛けてまわってる今朝の雨、
屋根から軒へ、雨どいを伝って地面に落ちる今朝の雨はしなやかな指先で静かになでられているようでとても落着く。
雨もこれを書きはじめた時よりも細くなお静かだ…雨のやさしさに包まれていち日をはじめられる今日がいい日でありますように…。
今から決めることもないけど、今夜はビリー・ホリディを聴くことにしよう…。

2012年9月18日火曜日

「間」抜け

高度情報化社会といわれて久しいが、この時代を「間抜け時代」と呼びたくなる。時間は「時の間」だし、場は「空の間」だし、人間は「人の間」だ。小学校に入ってはじめて作文を書く授業があった、その時の先生が「いつ、どこで、だれが、何をしたかを書けばいいのよ」…この言葉は今でもずっと頭に残っている。
…大人になってふとそれを思い出した時…<いつは時間、どこでは空間、誰がは人間>、物語はその「3つの間」の中でおこる出来事ってことかと自分に落ちた。
僕は小原に新しい「空間」の中で残された人生の<生と死>という「時の間」を味わいたいと願って来たんだと思う。
北三河という愛知県北部の中山間里山地域、稲武、旭、足助
、小原、下山…いろいろまわって小原に来たのは前にも書いたけど、とにかく「和む」という理由だ。
何故「和む」を求めて来たのか…街にそれが見つからないから…小原には「いい間」があるから…。
街の生活は情報という食べられないのに追っかけてないと不安になるという実体のないものにびっしりと「間」を埋められている気がする。
もう10年以上前にある街で子供のミュージカルを制作したことがある、練習の休憩時間になると子ども達がみなノートを開いている。何を見てるの?と聞くと彼らはスケジュール調整をしていた、そのノートはスケジュール帳だった。
「◯日の金曜日は…?」「ダメ、ピアノ…」「×日は…?」
「あー、水泳教室」…という具合、とにかく友達同士でスケジュールが空いてないことに安堵してる様子。
スケジュール帳に予定が入ってないことが不安になる、そんな子もいた。彼らはもう20歳を越えて、きっと今はスマホにいっぱい情報を詰め込んでいるような気がする。
土日の多くの人でいっぱいの大須の街を人にぶっからないように歩いていると、人の間からそんな情報が溢れて流れ出し出し自分のまわりにまとわりついてくるように感じる。
狭い小さな部屋になんでもかんでも詰め込んで、自分のいる場所さえなくなってる、なんで追っかけてるかわからないけど追っかけてないと不安になる…いらないもの捨てて「間」を作ろうよ。その「間」中で自分の大切なものを育ててみようよ…。
車のハンドルの遊びではないが、「間」を失うとちゃんとしたコントロールが出来なくなるよ。自分にとって本当に大切な情報も閉め出しくらって入ってこないよ。
みなさんも自分の大好きな場所で「時の間と人の間」を味わうこと忘れないでね…。



2012年9月17日月曜日

僕の家

小原村に住んで4年目、小原での生活にも慣れ自分のペースも出来てきたこの頃、「時を食べる」をテーマに「月10万円の贅沢」という生活実験でもあるこの暮らしを、そろそろ誰かに知らせたくなった。
生来機械音痴の僕にとってブログというのをやるにはCPのハードルは高過ぎて二の足を踏んでいた…インストールとかアプリケーションとかという言葉が出てくるだけでもうダメだ…。
それを今回いともたやすく飛び越せたのは、小原唯一のカフェ<コジカカフェ>のマキちゃんのおかげ、お店にCPを持って来てくれたら、竹内さんは打ち込むだけでブログが出来るように設定してあげる…とのこと、そして竹内のブログは誰かの目に止まるかもしれない可能性を手に入れた。
コジカカフェのことはあらためて<小原の可能性シリーズ>で紹介したいと思う、今日は人生に与えられた僕の時を過ごすベースキャンプ、小原の僕の家…竹の家と書いて「竹乃家」はこんな空間…。
小原村に住みたいと思い空家探しすること1年半、10軒くらいの古民家をまわり、最後に行き当たったのが乙ケ林の字にあった古い農家だった。
一年前まで15年間暮らしていた家族が住んでいたとのことだったが、大家さんの息子さんからは「あんなとこ人は住めませんよ…」と言われ、見るだけ見させて下さいとお願いし
500m四方に家なし、まわりを峠に囲まれたミニ盆地のような所にただ一軒というロケーションが気に入った。
家の方は…と言われると…「ん〜っ」たった1年人が住んでないだけでこうなるのかと驚きもした。
前の方の家具や荷物もびっしりだったし、床の間の床から竹がはえてたのにはビックリ、床も少しからだを斜めにしないとフラットがとれない傾きがあり、ほこりとクモの巣で「ひょっとしたらオバケ出るかも?」という薄暗くかび臭い家の中の様子だった。
でも外の気配は気持ち良く透明感ある種のスポットをも感じ、ここで暮らせたらいいなぁ…「よし!頑張るぞ!」とお借りすることになった。
友人の永沢君という大工(僕は彼をプロデューサーのライバルと思っていたほどユニークなクリエイターで、脚本家、演出、舞台美術…エッセイスト等マルチな表現者だと思っている)と4年かけ、壊している古い家があれば飛び込んで何か下さいともらいうけ、粗大ゴミ置き場から拾い物をし、山で材料を探し…とにかくコネクションを総動員して修復した。ウオシュレットトイレはたまたま手伝いにきてくれた友人の仲間が、昔下水道屋でバイトしてた時1台もらったのがあるけど使いますか?「頂き!」快適な文化生活に。
庭師の友人が隣りの浄化槽屋に聞いたら未使用で15人用のでかい浄化槽だったら邪魔だからあげるけど?「頂き!」等等、ユンボ借りて4人で庭に縦4M、横2M、深さ2.5Mの大穴掘って埋めたり…本当に多くの人のつながりで手に入ったもので僕の家はできている。これは凄いと思う。
あらためて「お金持ちよりコネ持ちを実感」お金がなくてもコネがあれば出来るという可能性を証明できた。
そんな数々の「もらいもの」もそのうちシリーズ化して紹介したいなぁ…。
そんなこんなの4年間、最後の半年は住みながらでないと進まないと思い、1部屋だけ暮らせる環境を作り、穴を掘って
ベニヤで囲った「野外トイレ」。外の厠を壊し移築し、前の人が使っていた木の風呂桶とマキ釜で作った「露天風呂」。カセットコンロ1ヶで食事を作って生活しながら作業した。
自分が住まうところが少しずつ形になっていく、無いものは
山や自然の中から代用品を見つけ、自分で作る。
しまいに漆喰の壁塗りは
「何もないけど、なんでもある」と感じたのはこの時だった
と思う…だからうちの扉についているドアノブは竹の根っこだったっり、曲がった木の枝だったり、「あっ、この子」「あっ、その子」と探しながら山歩きしながら集めたひとつひとつに思いが入っている。
そうこうしてまだ未完で「こんどはココ、その次はアソコ」
となぶりながらの今の暮らしがある。
友人が作ってくれた簡単な見取り図を見てみて…。

  










2012年9月13日木曜日

この夏の発見

今日の夕刻ハナとキノコと散歩に出た時、あーぁ…タオルはもういらないや…と思った、僕のこの夏の大発見はタオルをふゎっと頭に巻くのがいちばん涼しいということ、汗が出ればすぐふけるし、虫がうっとうしければクルクルまわす。
帽子好きの僕の今迄の夏は探検隊帽子、がっちりしてるがメッシュなので風も抜け、強い風でも飛ばされない…多くの旅にも付き合ってくれた。ただ、問題はかさ高くヘルメットを着用しているような存在感があり過ぎ、かぶってない時のじゃまくささは半端ないし、置く場所にも困る。
その点タオルはたためばポケットに突っ込めるし、風呂敷と同じくモノも包めたり多様な働きをしてくれる。
犬のリードを忘れた時もとっさに役に立ったし、すずめ蜂に刺された時もギュッと巻けたっけ…。
きつくもゆるくも調節でき、頭を包んだ感じも軽くてやさしい…強烈に暑い時は水に濡らして巻けば風とたわむれてクーラーを頭に載せているようだ。
9月も半ばに入り、まだまだ日中の暑さはきびしいけど、クラクラくる熱射は感じられなくなってきた。田んぼの稲も刈り取りが始まり、さみしくなった田の上を行き交う赤とんぼの数も日ごとに多くなってきた。
「秋ですね、今年の秋ですね…どんな秋でしょうね」
毎日巻いていたタオルのターバンはきれいに洗濯して来年の夏までタンスの引き出しの中に並べてお休みをあげることにしょう…オヤスミ…またね。
*ちなみにタオルは薄手でのできれば120cmくらいのロン グサイズが巻きやすく、あまった端っこで遊びやすいので
お勧めです。

2012年9月12日水曜日

村民がカッコイイ

僕が小原に来ていちばん欲しかったものそれは「小原村の住民票」でした。名古屋市中区大須…から<愛知県西加茂郡小原村大字◯◯」というやつです。
別に1枚の紙切れの住民票で人が変わる訳ではないが、街と明確に違うという意識がいつも自分にくっ付いてる気の持ちようは大切なことで、まさにアイデンティティに関わると思える。
小原で出会った流嶋さんというグラフィックデザイナーがいる、彼は小原生まれで高校を出てから名古屋を拠点にデザイン事務所を持ち仕事をしていたが、事情がありUターンして小原の実家に帰って来ている。
先日僕の家にひょっこりやって来た、話しの中で僕が「小原村民>というTシャツが欲しい…」と言ったら、小原の人は<村>という響きが田舎くさくてイヤだと思うよ…と言われた。そんな気持ちはよくわかるが…。
田舎が好きでここへ来た僕には<村>は誇りのシンボルだと思っている「みんな田舎に引っ越しておいでよ」と誘う側の僕にしてみれば、田舎においでよというより「村においでよ」の方がうんと人とか生活のイメージがある。
都市と田舎というのは文明的な対比で、<街と村>というのは文化的な相対として感じるものがある。
日本のかかえる多くの問題は人口の集中している都市の問題であり、病根は消費文化の末期症状、ようは「豊かになれない未来」からきているのだろう。
前回書いたが僕が小原村に惹かれた理由は「和む」からで、
和むとはまず食うことはなんとかなるから始まる、街と村の生活文化のスタートラインの違いがこの先の時代に大きな意味を持つことは断言できる。
村の生活文化は次世代へのメッセージを発信している、村で自然と折り合いつけながら生きて行くこと、それは豊かで誇りある人生の時を過ごすこと…今こそ「街で疲れてるみんな、村で暮らそうよ」と呼び掛けたい…流嶋さん、だから「小原村民」のカッコイイTシャツ作ろうよ…。


2012年9月5日水曜日

至福の話し

ハナとキノコを連れてよく山に入ることがある、甲斐犬の血が入っている山犬なので平場よりギアが一つ上がるようだ。
とくに野ウサギの匂いを嗅ぎ付けた時にはターボがかかる、
そんな時はあっちこっちと必死に森を走り回る2匹をほっておくしかない。
それはまた、僕に与えられたラッキーな時間でもある、静かな森の中で適当な木の切り株を見つけ「ボーッ」とした時にひたることができる。
時は流れているのか止まっているのか、木々の梢を渡る風や時おりの鳥の声をBGMに陽の光が差し込む森のひととき、森林浴とはよく言ったものだ、まさに入浴している感じがする。
そこが森のスポットとでも呼べる雑木の場所であるなら最高だ。大きなナラやブナがソラに向かって自由に枝を広げ、その下には乾いた落ち葉の厚い敷物が覆っている。その上を歩く時は極薄のポテトチップスを踏んでるような軽やかな音楽を感じる。
そんな場所に10分もいると「このままここでこの森の木の1本になってしまいたい」と思うことがある。そんな時「そうか!<姥捨て山>は至福の話しだ!」と気がついた瞬間があった。いきなりだったけど…あれは素敵な話しだったんだと…。
自分に与えられた「生」を苦も楽も十二分に味わい、子供も孫も立派に育ち「自分の人生は幸せだった」、この先にやれることもやりたいこともあるとは思えないし、ここが人生の潮時「次の世界」に行こう…と自らが決めること。年を経た
インディアンが<今日は死ぬのに良き日だ>と山に向かうのと同じことのような気がする。病院で延命治療を受け、体中管だらけベッドに縛られて長らえる命より「自分の人生最高に楽しかった、本当にみんなアリガトウ」と死を迎えに行くことができる。
空海ではないが「我これより滅に入る」と言える人生を送りたいと思いつつ生きている。
村のはずれにキヌさんという90歳になるおばあさんの家にたまに寄り1時間くらい昔話を聞くのだが、いつも終わりは
「まぁ〜……っ、長生きするのもぉ〜………つまらんな!」
で終了。
また別の字にシズさんという94歳のおばあさんがいる、彼女は結婚する時、田んぼ、畑は一切しなくていいからと町から嫁にきたそうだが「なんのことはない」とグローブのような大きなごつごつした手を見ながら「嘘ばっか…」と振り返る。シズさんには息子2人、娘1人の3人の子がいたが3人とも彼女よりさきに他界した。ずっと一人で生きている。
家から数歩外に出ると、曲がった腰で見えるのは地面ばかりで家の戸がどっちかもわからなくなる…と笑って言う。
そんな話しを聞く前、最初にシズさんに会った時、思わず観音様だと手を会わせたくなったのを覚えている。
そのお二人と別れ際の挨拶は「お迎えはそう遠くないから…
それまではちゃんと生きとらないかんよ…」である。


2012年9月4日火曜日

時を食べる

このブログを開く時、タイトルはすぐに決まった…「時を食べる」と…何故、名古屋の町中からやってきて小原村で暮らしたかったのか?答えは小原は<和む(なごむ)>から、それが決定的な理由だ。
これを書きながら、ふと「和む」の漢字の意味を知りたくなったので、少し遠回りをしてみよう、きっと何か面白いところへ出るような気がする。「和」の意味としては<口>であり、ノギヘンの方は象形文字で黄河流域の主食であった栗あわが穂を垂れている様ということである。僕なりの勝手なイメージだとようは「食えてる」ということになる。
確かに「食えてなければ…」和むことはないし、むしろイライラする情況になるだろう。「和む」ことは食えてることが前提だということにして先に進もう…面白い遠回りが出来た…。
何日か前、以前犬と散歩に出かけた時知り合った土屋さんというおじさんから電話があり「もう新米が取れるけど、前の米があるがいらないか?」という…「いいんですか?頂きます〜やった!」ということでお米を30キロもらった。
また、犬と散歩から帰って来ると、土間の踏み板の上によくナスやキュウリ、ダイコン、タマネギ等の野菜が置いてあったりする…これは村のおばさん(心当たりは2人)が置いて行ってくれたらしい。
たまには「おこわ作ったけど食べる…」とか「ゴウヤの佃煮食べる」とか「ナスの漬け物…」とか食卓の贅沢な一品を持って来てくれる。
また、春の山菜シーズン犬と山へ散歩に行けば帰りには抱えるほどの山菜がいっしょだ。
この4年、僕の実験である月10万円の暮らしは完璧にクリアしているどころか、誰が家に遊びにきても「竹ちゃん、めちゃくちゃ贅沢」と言って帰って行く。
「エッヘン、金持ちより<時間持ち>」とうらやましがらせて帰す、
これが僕の作戦…「君も時間持ちになったら…」
街の暮らしでは「食えない」ということに大きな不安を持たねばならない、田舎では「なんとか食える」から始められる。このスタートラインの違いが<和み>につながってくる。
還暦記念に廃材をもらって8万円で作った「東屋」、高床式で材料の木に一本一本思い入れをもって感性させた空間からいちばん
和むフレームからの写真を見て下さい。