2013年5月1日水曜日

明日は「やまぶき」の花束を



今日は朝からの雨、なぜかとても淋しい気持ちになる春雨。夕方に雨はあがったものの、夜の9時過ぎ家のまわりは霧に包まれて霞んでいる。夜行性の動物たちもひっそりと籠っているような静かな夜。


*今朝、春雨で煙るの窓の外
小音量でかけてるビルエバンスのピアノも、窓からもれ出し霧の手の平に乗り森中をやさしく撫でて廻ってる気がする。
今日で4月も終わり明日から5月、一年の三分の一が早過ぎた、今年は隠居も「隠れて居ない年」にしようといろいろ地域や若者たちにおせっかいを始めた。
「オバラ体操」も始まりそうだし、さっきは「小原農村歌舞伎」のリーダーという人にも偶然出会った。
「生活=生てることを活かす/活かして生きる」でもあるから、みんなが引き出しの中に眠らせているその人の「お宝」を引っぱり出すおせっかいが竹内的隠居だと思い動いている。
このところ特に人の持つて入る「人間力」がサービスとかテクノロジーとかに任せっきりになり、どんどん喪失しているように思えてならない。
その人の「お宝」って、その人にしかない<人間力>のこと、田舎に来て良かったと思うのは自分の出来る範囲がどんどん広がっていること。



還暦を過ぎても「これが出来るようになったとか」自分の可能性が広がるのは楽しい、やむにやまれぬ状況に身をおくことと、それを受け入れることで人は展開を始めるような気もする。

*写真は去年還暦記念で作った東屋、屋根も一人で上げました。下は掘った池、今は「やまぶき」がきれいです。


僕の場合「みんなにやるって言っちゃったし…」から始め、
やる以上「らしく…ないと」と納得できるところまでやる。
そうすると何とか出来てしまう、当然出来ないことは出来る人を必死で探し出会い頼み込むことになり、出来る人の輪が
結局広がる。この繰り返しの人生だ。

今日は朝からめちゃ肩が痛いというか凝ってる、何故だろう?も答えがすぐわかった。昨日今年初めての草刈りをした
…で、草刈り機の刃が古く先も丸いのでやった、その結果肩や腰に負担がかかった。という具合に理由もわかるようになった。「刃をかえなくちゃ」である。
やってみないと分らないことだらけの生活を始めることで、いろんなことが分るようになる、いくつになっても新しい経験を積むことが可能性の扉を開けてくれる。

明日は妻の誕生日、彼女の誕生日前後は必ず池のまわりが
「やまぶき」の黄色い花が乱れ咲く。
明日はその花で花束を作って届けよう。

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