2013年9月28日土曜日

先週は台風一過で僕の住む旧小原村(現豊田市小原地区)は山の土砂が至る所で道をふさぎ、村の土建屋さんはパニックだったとか…確かにユンボやダンプの数は急に増える訳ではないのでしかたない。
幸い人が亡くなったとか怪我したとかはなく、僕の家も雨漏り2ヶ所ですんだ。
そんなホッとした翌日、僕が<小原の土木スーパーマン>と呼んでいる親方から電話があり、「◯◯さんの山が抜けて人手が欲しい、竹内さん空いてないか…」とのこと、出番をもらった嬉しさに万端調整し現場に駆けつけた。
そして3日間、初体験のダンプの運ちゃん兼交通整理のガードマンとして朝から夕方まで土ぼこりをかぶりながら汗をかかせてもらった。
ダンプの運転は面白く、荷台に満タンの土砂をザァーッと空ける時は快感だった。しかしガードマンさんの仕事は僕には向いていないかな…親方によく怒られた。
というのも車のあまり来ない山道、確かに車が来た時はユンボが道を塞いでいるいるので、来た車にちょっと待ってもらいユンボを横に寄せ、車を通すという大事な仕事ではあるが、10分に一台通るかどうかの道、見張っていても車の影は見えず、突っ立っているだけの時間は退屈でしょうがない。
で、つい親方のユンボの技に見とれてしまう。親方のユンボの操縦はあの無骨な鉄の箱にキャタピラ、ゴツゴツした鉄のアームの先の鉄のバケット、柔らかさのかけらもない機械を日舞でも舞うように動かすのだ。
まるで鉄製ではない動きガサツさが微塵もない、バケットは扇子でも持っているかのように崖を土を撫でているようだし、回転、腕の上げ下げはスィングしながら自由にしなやかに踊っているようである。
中学を出て、青森県八戸から上京し土木一筋60年近く、日本中の現場を歩き、あらゆる重機に精通し、山へ入れば木を見て切る木こりさんでもある。
その昔には親方と三里塚で親方の先導するブルドーザーを挟んで機動隊と向かい合ったかもしれない間柄だというのを最近知ったが、体ひとつで生きて来た男のかっこ良さというか、いろいろな現場の昔話を聞いているだけで時間が過ぎて行く。
「土木職人」と言うのが親方の印象、土木職人さんは現場の環境、土や木、道具を見ながらいちばん適切な段取りと作業を美しく無駄なくこなす…良い親方についたと思う。
さすが3日目が終わった時はヘトヘトであったが、親方から
3万円ももらってにんまり、センチの40周年コンサートのご祝儀の一部にありがたく頂いた次第…。

2013年9月10日火曜日

一ヶ月半ぶりです。センチ40周年へ!




久し振りにブログを開きました。前のは7/23、妻の選挙が終わった時です。彼女も僕もリハビリがようやく終わろうとしています。彼女は6年間ほとんど自分の生活というのをしてなかったので、生活の場としての部屋を整理し取り戻すことと、外食ばかりの食生活から脱し、それこそ僕を胃袋で落としたという料理名人に戻ってきました。
基本的な生活のスタンスが出来て来たので…これからが自由市民の幕開け…ということになるでしょう。楽しみです。

僕はと言えばこの間、田舎で隠居のはずが選挙後すぐに組長の一年でいちばん大きな仕事といわれる「天王さん」と呼ばれる行事の仕切りを手始めに、昨年始めた「軽トラあんどんパレード」の仕切り。そしてお盆に帰郷する、小原のひとつしかない中学の卒業生を対象に「お帰りなさい…」と言うコンセプトで<おば中カフェ>という店を作り、Uターン促進の企てをしました。
8月の終わりには豊田市のお手伝いで「孫たちへのバトン」という、祖父母世代から孫世代におくるメッセージを短歌、俳句、詩、手紙という表現で募集し、曲をつけたり、役者さんに朗読してもらったりという企画を実施しました。
と言う訳で2週間に一回のイベントごとをこなしながらリハビリしてました。

その間にも自分にかしたミッションで夏休みが終わり、子ども達が学校へ行く前に周辺の通学路の草を刈る…8月後半の天気のいい日は毎日草刈りしましたが、自分が決めた範囲、「民家のない500mの山道をきれいにする」が終わったのは今日でした。

ということで10日送れましたが、8月のハードなリハビリ期間が今日をもって終了ということになりました。




*写真はセンチの赤バスとボケてますが30年前の僕

10月13日には40年前に結成し今年40周年を迎えた
<センチメンタル・シティ・ロマンス>の記念コンサートへ向けひたすら頑張ります。ブログも再開!