2012年12月31日月曜日

僕の10大ニュース2012

年をとるごとに「時の実感速度」は加速していく、それは
誰もがみんな言うことなので、きっとそうに違いない。そう感じたのは25歳くらいの気がする…高校までの時の
流れの感じ方とそれ以降では30代40代50代そして今
60代…「エェーッ、もう大晦日なの?!」である。
<光陰矢の如し>しかりだ。<あっという間の人生>それも
しかりだ。
30歳の終わり頃こんな句を詠んだことがある…

   「雪過ぎて またたくうちに 夜は月と」

これは「雪」と「行き」をかけてある、また「夜は月と」は
「世は尽きと」とかけてあるのだが…

    「行き過ぎて またたくうちに 世は尽きと」

これは自分の「生」という与えられた時を46億年の地球の
モノサシで計ったらまばたき一回分にもならないだろうなぁ…と感じた時に作った。
来年で正月を迎えるのは61回目、冬も61回目、まばたき
ひとつの中になんと濃い生命の時はあるのだろう。
そう思ったら今年自分の中であった「10大ニュース」を
書き留めておきたくなった。

①「ヤィヤァー祭」
小原に住んで4年、今年の半分は久し振りに思い切やった…来年も出来るといいね。
小原の内外からのべ
200人を越すボランティアが参加してくれ、終了後の廃棄物はほとんどゼロ!
僕の作品7mのイノシシ…





   
②「みどりの風」
参議院議員の妻郁子が民主党を脱退し新しい党を作る。
3/11からこの間フル回転の彼女の新しい闘いは…。
衆院選後「野党」と呼べる極が見えない、このままでは
自民党のやりたい放題、「原発「国防軍」「TPP」…
<日本を取り戻す>と言いアメリカべったりとは、この国をどうしたいのか?

写真はカーター元合衆国大統領(氏は米国のプルサーマル計画を中止した)に会いに自費で渡米した妻。





③「還暦記念<東屋>完成」
   総工費8万円、ほとんど廃材をもらい釘を抜き「材」
   として活かし、「やれば出来る」とひとり頑張った。
   4ヶ月近くの工期中半分はやり直しやり直しの繰り返
   し…ずいぶんスキルアップしたぞ…。



④「アフリカン・ミュージック・ナイト」
7月の終わり、ジンバブエの音楽グループ「ジャナグル」のライブを我が家で開催、村のオバァチャンは「氏神さんの祭より人が大勢おる!」とビックリ…
130人を越える来場者、
ジャンベの飛び入りも多数あり…村の子ども達も踊りだす。





⑤「死と紙一重の交通事故」
   10月の終わり、東海環状で急に右折してきたダンプ
と右側の壁の間にはさまれ、ブレーキ踏まずにアクセル全開で突っ切り、運良くダンプが後ろから押し出してくれて間一髪命をとりとめた。
後ろに追突されて命が助かる…車もちゃんと動いて
   「僕生きているんです…それだけで充分です…」言い残して帰って来た…。
 自分へのいましめと生きていることの危うさを刻む為に
 車の傷は残しておこう…。
   

⑥「久し振りのCM出演」
前は「クノールスープ」で広末涼子のおとうさんとか 「ニッシンオイリオ」でTOKIOに天ぷら出すとかいろいろCMに出てたけど、5年振りに「キクチメガネ」のCM、小原の我が家でハナとキノコもおまけで参加。
写真は名古屋の地下鉄の中吊り広告用。


1-B3W_takeuchi.jpg


     
⑦「はじめてイノシシの解体アシスト」
   小原は本当に「イノシシ天国」あそこもここも耕耘機
   かけたよううにボコボコ、ヤィヤァー祭の作家さん達   
   と中休みパーティで獲れたてイノシシの解体初体験。


⑧「オバラ体操の曲を作る」
小原の人口減少を何とかしたいと思い、子供の頃からオバラのことを印象付けるには「体操」を作ろう決めためた。
僕の詞に友人が曲をつけ、今大学の体育学科のダンスの先生が振り付け<Uターン倍増計画>が始まる。

   おばら体操


なんにもないけど なんでもあるよ
山から朝日が   おはようさん
今日もいちにち  はじめるまえに おばら体操だ
いち にい さん しい オバラッコ
セッ セッ セッ セッ オバラのジン

なぜかしらないが やることだらけ
気がつきゃ畑の  草ぼうぼう
汗かき草刈り  落ち葉かき おばら体操だ
いち にい さん しい オバラッコ
ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ オバラのジン

 オバラの上に北極星 まわる夜空の星たちの
 歌はキラキラ子守唄 里にやさしい夢はこぶ
 
またでたまたでた イノシシタヌキ
負けるな元気だ オバラッキー
冬にもサクラの 咲く里で おばら体操だ
いち にい さん しい オバラッコ
ヤィヤァー ヤィヤァー ヤィヤァー ヤィヤァー オバラのジン

今日もようやった 畑に田んぼ
夕陽が空そめ  おつかれさん
みどりの空気を いっぱいすって おばら体操だ
いち にい さん しい オバラッコ
ヤィヤァー ヤィヤァー ヤィヤァー ヤィヤァー オバラのジン



⑨「今年の紅葉は最高!」
小原の11月は「四季桜まつり」という冬に咲く桜の
イベントがあるが、桜と紅葉がいっしょに見られそれはもう凄い、今年桜はいまいちだったが紅葉は最高だった。


⑩「………」
   みんないろいろあったね…   10番目のニュースはいろ
   いろあるけど…それぞれが   それぞれに「らしく」一年
   を送り、いくつになっても   出会いがありそれが次の可   能性を開いてくれること…完全なんてないんだから
   より良くなる方向に向かって歩きましょう。
   今年出会った皆さんアリガトウ、楽しかったよ…2012。
   

今年…来年…。


明日一日で2012年が終わる、そして2013年が始まる
…と言っても、そのことは人間以外の生物には何も意味を
持たない。
おそらく陽が登り陽が沈み、夜を迎え夜明けを迎える、その
繰り返しの時を「与えられた時として<命>として」生きているだけのことだ。
この瞬間にも地球という太陽系の惑星は秒速500mで自転
しながら秒速30kmで太陽のまわりを回っている…想像の
つかないスピードの乗り物だと思わないか…。
そして月という地球の惑星の引力でこのスピードになっていて、月が無ければ加速した地球は暴風が吹き荒れ生命が地上で過ごすための条件も変わってくる。
太陽との距離の適当さゆえに水と空気が存在し「生命活動」
が許されている…隣りの金星の位置でも火星でもだめで、奇跡的なポジションに「我が惑星」は存在している。

<モンゴルで見た朝日と夕陽>

以前1990年に日本人ではじめて宇宙を飛んだTBSの秋山豊寛さんの話しを聞いたことがある、地上に帰還した時の
感想は「宇宙から見る地球のどこにも国境のない美しい星
だ…」ということ。
今、中国とは「尖閣諸島」韓国とは「竹島」、ロシアとは
「北方4島」…とか「うちのもの」という国境がどうとかの<線>が問題になっているし、人類史はその<線>をめぐる
戦争の歴史の枚挙に尽きるといってもいい。
アフリカの地図を見ていると国境の不自然なこと、定規をあてて線を引いたとしか思えない一直線の国境ばかり、植民地を求めて戦争と政治が引いたその線が家族や親族、部族や民という<暮らしと文化>を分断した。
そして今またさらなる欲望は<誰もが豊かになりたいはず>
とその線を多国籍企業という経済至上主義であり拝金主義が
<それぞれの暮らしと文化>をお金のために解体しようとしている。
ある人が「文明は人間の欲望にそった方向に展開して行くと」何かで書いていたが、その欲望とは人間が持っていた
能力を退化させていくことだったのだろうか?
新自由主義という「新しい自由」とは?経済には国境という
線が邪魔になって来たらしい、勝手に線を引くことが自由とやって来た人たちが、今度は線を取ろうとしている。
<根こそぎの金>を求めてビジネスマンたちが自由勝手に
資本を元手に札束で国というマーケットを侵そうと狙っている。
それは国境という線が持っている、固有の文化、暮らし方という「線」である。
そこに住み暮らす人たちが「何を大切に生きているか」、そしてそのことからどういった社会システムを育てアイデンティティを育んできたのかということを無視して固有文化を、歴史が培った人間性を破壊しようとしている。

<モンゴルの草原で羊の放牧をしている子供たち…>


世界中に生きている人の1%の欲望が99%の人々の大切なものを破壊しながら「お前も豊かになりたいだろう…」と
いう価値観を押しつけてくる。
失ったものは帰ってこない…<TPP>とはそういった欲望の更なる人間性破壊をはらんでいる。
お金…お金…MONEY…MONEY…その行く先に待っているものに
イマジネーションを働かせれば、その先の結果がどんなもの誰もが想像はつくはずだ。

この奇跡の美しい惑星「地球」で、我々に与えられた「時」
という生命の時間をいとおしく思わないか?
生きとし生ける全ての命に平和と安らぎが与えられますように…と祈りつつ今年を終え、来年を迎えよう。
人の愚かさを許しつつ身勝手さとは闘わないと…でも自分に
与えられた「時」は味わいつつ…来年はそんな一年かなぁ…
妻郁子の挑戦も来年は山場を迎えそうだし、パートナーとしてしっかりタッグ組まないと…と思ってる。









2012年12月27日木曜日

コチコチの夜に思う…。



昨日から今日はとても寒い日だったね。
さっき、ハナとキノコに付き合って散歩に出た、まだ時間
は午後9時半だというのに外の気温は−3度、月は14夜でほぼ満月、山も野も薄い氷の膜につつまれ、枯れずにやっと姿を残している雑草たちにまとわりつく氷の粒に月明かりの小さな光が反射し、ふるえている小さな命のけなげさも
また寒さをつのらせる。
秋の満月はまわり全ての自然のホリゾントを青く染めて海の中にいるような幻想的な世界を見せてくれたが、今夜は月明かりが冷たくあたりを凍らせているようにも感じる。
それにしても、零時をこえて明け方にはいったい何度くらいになっているんだろう…考えたくないね…。


ラジオを聞いていたら北海道は最高でも−0度、一日中マイナス何度かの世界だという、想像はつかないが大変なことだと思う。
昨日洗濯しようとしたら洗濯機の水が凍って出ない、今朝も出ない、お昼になっても水は出ない、夕方やっぱり…、明日に賭けてみよう…。
外に掛けてあった雑巾もコチコチ、バケツの水もコチコチ、
いちばんつらいのは朝、朝食を作る時だ。

朝はパンなので手間がかかる訳ではないが、お皿もカップも
氷を触っているように冷たい、スプーンやナイフという金物にいたってはドライアイスかと思うくらい手にくっつくような冷たさだ。
そこで最近はパンを焼く時、フォークやナイフをトースターに入れていっしょに焼いている…これは正解だった、固くなったバターもスーッと切れる。




今は広い我が家で6畳の書斎兼ベッドルームに、石油ストーブをつけて閉じこもっているが、食事を作る時はどうしても台所に行かねばならないので、オークションで安い「石油ファンヒーター」を購入した。
いくぶん台所にいるのが楽になって良かった…寝る時、忘れずに蛇口の水を少し流しっぱなしにしておこう。

しかし取り立てて冷え性ではないと思うが、足が冷えるのが
今いちばんの困りごとで、土間に並んでいるクツを履く時
氷の中に足をつっこんでいるのかという感じだ。
北海道の人たちは氷のクツをどこにしまうのだろうか…?
まさか保温くつ箱があるとは思えないが…?



昨年の冬、いちばん寒い日は−12度というのがあったが、
これからが冬本番、今年はどんな意外性のある「コチコチ」
と出合えるのか楽しみに過ごしたい…今夜シャワーの水は今のところ出ているのですぐにシャワーを浴びなければ…。

追伸
そうそう…話しは違うが終了した「ヤィヤァー祭」のこと、
僕もいろんなイベントを経験してきたが、廃棄物が限りなく
ゼロに近い、ほぼ完全循環型の祭であった。
竹はチップと家の濡れ縁用にもらわれ、ワラは近くの農家の皆さんが畑で苗のおふとん用に、残りは消却して栗畑の肥やしに…間伐材はパン屋さんの石釜用や盆栽の台にもらわれて
いき、番線はくず鉄としてリサイクルに…捨てるものがない
全て再利用される気持ち良さはなんとすがすがしいことだ。
…というご報告…。

2012年12月19日水曜日

あとの祭が好きだ

一昨日は作家の小沢君と鈴木さんの3人で小沢君の作品
「守護神」を解体した。
彼はもともと「土」で制作する作家なので、わら、竹など
の素材は初めてだという、制作前に見せてもらった作品の
イメージは最初の2週間くらいで見えなくなり、素材との
格闘が始まったように思えた。
格闘から交渉へ最後には受容というプロセスがあり、交渉〜
受容の段階で彼の作品は<神>と呼ぶのか<自然界の魂>
と呼べばいいのか目に見えない力とのコラボレーションで
あったように感じる。
なので別の言い方をすると<生(ショウ)>が入っている
オブジェが出来てしまった。
ましてや出来上がった作品には多くの人が様々な思いをこめた泥をぶつけているのでなおさらだ…。
解体する前にお寺の和尚さんに来てもらい、お経をあげて
ちゃんと送ってもらおうと生抜きをして頂いた。
解体は一日かかって無事終了。

昨日と今日は最後に残った桜井さんの作品「かかし庵」の
解体作業、小原に住む自由人なクリエーター景山タクミ君
が2日とも手伝ってくれて解体を終えた。

やっと「あとの祭」を味わえるという明日が来る、僕は
祭の準備をするプロセスと終わってまたもとに戻る時が
好きで、まさに「ハレ」から「ケ」に帰って行く淋しさが
たまらない。
日常という「ケ」の世界に突如「ハレ」という祭がエネルギーを注入し、日常ではない楽しさ、歓びが与えられる…
それも世間一般でいう金にもならない「遊び」である。
遊びが日常生活をどれだけ豊かにするか、遊びのクリエーションがどれだけ「人間力」という可能性を広げるか、
実感としてそれが生きている魅力だと思う。
だからイベント屋という仕事もしてきたし、イベント会社
でお金がついてまわるのがイヤにもなったんだと思う。


犬山とか半田、常滑とか愛知県は「山車祭」が盛んだが、
祭が終わり、それぞれの山車が提灯の灯りを揺らしながら
それぞれの町内に戻って行く後ろ姿「祭はもう終わりだよ
また来年まで…」と遊びのエネルギーを使い尽くして淋しく
路地に消えて行く瞬間の移ろいに<あとの祭>の美しさを
感じる。
小原の「ヤィヤァー祭」、作家さん達が思いとエネルギーを
注入した作品たちの姿は里山から消え、紅葉で燃えた山々は
葉を落とした木々がエネルギーを溜めに眠りに入った。
また来年、目覚めた時に<祭>に会えるといいなぁ…。
雪の日に撮った写真を添えて…。




2012年12月14日金曜日

焚き火とモーツァルトと流れ星

昨夜は「ふたご座流星群」のピークということで、街の中に
住んでいるならともかく、小原という中山間地に住み、峠に
囲まれいちばん近い隣りまで500mという外灯もない場所で暮らす身としては<観察会>を催さない手はないだろう。
朝から友人たちに「今夜、ひま…?」と電話をかけ数人が集まることになった。
かなり寒い夜になるだろう…暖まる食い物があるといいな…
イノシシの肉をもらったのでクリームシチューを作ろう!…
デッキの上で見ることにして、邪魔にならない場所で焚き火
をたこう…ここに廃材と杉の枯葉を用意して、あとは火をつ
けるだけにしておこう…静かなのもいいけど何かいいBGMも
あつたらいい…そうだモーツァルトのミサ曲が雰囲気だ!
ということで濡れ縁にスピーカーをセット。
あとは皆が来る10時前に焚き火の点火、BGMを流す、シチューを火にかけておこう…。
という言い出しっぺ、主の接待準備とあいなる。
午後10時、車のヘッドライトが家の前の雪が残る畑を浮かび上がらせて三々五々皆がやって来た。
お迎えはハナとキノコの遠吠えである…特にハナの狼チック
なロングトーンは山々に響きカッコイイ。
最終的に7人が集まり、メインの「ふたご座流星群」が
登場する夜空を見上げる、誰かが「アッ!」というと「見た
見た…」が続く。


きっと今夜は世界中でこんなシーンがあるんだろうな…
カップルで親子で仲間で…日食や月食はショーの時間が
あらかじめわかっているが、フェイントかけているのかと
思われるほど、いま東に流れ、そのあと西にあらわれと
予測できない場所とタイミングで全天を駆け抜けていく流
れ星のショーは、ただただ夜空を仰ぎ続けているものが
いいものを見られる、「これって公平」と思った。
お金をたくさん払ったらいいものが見れる…という訳には
いかない自然界のショー、気温は−2度、焚き火は暖かい、
小原にいて「流れ星」を焚き火とモーツァルトで迎える…
こんな時の味わいを<贅沢>といわずして…今夜2時間で
30近い流れ星を見送った。

2012年12月13日木曜日

一等星な流れ星

今夜9時過ぎ、いつもは10時くらいに真っ暗な山道を
懐中電灯を手にハナとキノコを連れて、というより彼ら
の「連れて行け!」という真剣な眼差しにしぶしぶ夜の
散歩に外へ出た。
気温はマイナス1度くらい、おととい降った雪がまだ山
にへばりついている、月もないのにボーッと雪が反射して
次に道はどこへ曲がるのかが懐中電灯なしでもわかる。
空を見上げると冬の星座たちがひしめき合っている、
「そーか、星明かりってこれか…」と納得できるほどの
星のキラメキが空にある。
特に晴れた日の厳しい寒さの日の空気の透明度は高く、
懐中電灯のスィッチを切って、星空を見ながらの散歩は
素敵なものだ。
さらにそのキラメキを際立たせてくれるポイントがある、
それは葉を落とした木立の道を歩くことだ。
細い枝先を抜けて見える星たちが、その一瞬一瞬に見え
かくれする、その一瞬の点滅がキラキラ度を上げてくれる
という仕組みだ。
今夜も頭上のオリオン座から始まり、「あれっ?おうし座に
あんな大きく明るい一等星があったっけ?」…おうしの頭に
輝く星は木星なのだと帰ってから調べてわかった。
そして6月生まれの僕の星座<ふたご座>も東にかかって
出て来ている、本当に12月の夜空は星座が肩を並べて
星座の銀座街のようだ、星座がわからなくても星がいっぱい
で充分だけど…。
木立の間をそんな感じで星空を見上げて過ごす、2匹の犬
たちは残雪の中、何かケモノの臭いを嗅ぎ取ってか山の中
へ入って帰ってこない。
どのくらい、おそらく5分くらい星空に見とれていた時で
ある、「ウヒョー!キレイ!流れ星だ!」こんなにクリア
できれいな流れ星は初めて見た、先ほどの木星が流れたと
思うくらい大きな流れ星が西へ走った。
しかも大きいせいか、ゆっくり流れているように感じる、
2秒くらいの間であった、2秒あればお願いごともできた
のに…と後で悔やむ…。
家に帰り、ネットニュースを開いたら、「ふたご座流星群」
のピークが13日〜14日というヘッドラインが出ていた。
合点がいった、確かに流れ星はふたご座方向からだ。
…ということで皆さん、明日の夜は新月状況での流星群を
見るチャンス、いつもより夜空を気にしてね…。

夜空の写真がないので、このデッキにリクライニングチェア
を延ばして夜空を見上げるとサイコーなんだ…と言う訳

   

2012年12月3日月曜日

ヤィヤァー祭ありがとう…

今日「ヤィヤァー祭」が終了しました、会場まで足を運んでくれた多くの皆さんありがとう…。

*長嶋さんが描いてくれた「ヤィヤァー祭」の看板を降ろした…。
  
8月のお盆あたりから始まった、大量のわら集め〜竹切り〜
間伐材切り…みんなで集めた材料はほぼ使い切り、作家の皆さんそれぞれがそれぞれらしい作品を小原の里に産み落としてくれたことに感謝したい…。
お金も時間もない中、思った通りにはなってくれない素材を
相手に格闘し、そして受け入れ合い、成り行く中で魂を注ぎ
込んだ作品は小原の環境と喧嘩することなく、侵すことなく
ずっと前からそこにあるべくあるように自然なメッセージを
発信していた。
自然と人は斯くのごとく互いを認め受け入れながら、その人
自身の在りようを表現することで<愛>は成立すると感じた
…調和という<なごみ>が里山の美しさだ。

  
この4ヶ月にわたり小原だけでなく多くの人たちの無償の
人間力が、あらためて人々に幸せを運ぶ道を教えてくれたようにも感じる…いろんな場面で力を貸して頂けたことにも
感謝、感謝…。

 
竹内のわがままで最終日2日前に完成をみた「イノシシと
小原の人が生きるための向かい合い」は<オバラリアン>の
みんなが最後の力を出して日の目をみた。
会期が終わっても田んぼの持ち主から一ヶ月は展示しても
よいと了解を頂いて、寒い小原の里の休耕田で力を発信して
くれるはずだ。

  
暑い夏から始まり、紅葉の美しかった今年の秋を借景に
作品たちは里の素晴らしさを引き出してくれた、そして
燃え上がった紅葉が茶色く変色し、枝から手を離し、地上
に舞いながら落ちて行く中、最終日の今日みぞれが肩を濡ら
した…季節の移ろいが<生きる時>の確かさを教えてくれ、
与えられたそれぞれの<命>をどう活かして生きて行くこと
が素敵なことかを感じつつ、この機会が与えられたことに
感謝、感謝、感謝…そして若者からお年寄りまで、多くの
新たな出会いにアリガトウ…みなさん素敵だったよ。

*作家さん、協力者の皆さん、最後に魔女の茶会でお開き…