2012年10月31日水曜日

やりに来て<ヤィヤァー祭>

ついに10月最後の日をむかえ「ヤィヤァー祭」初日まであと2日となった。どこまでのことが出来るか…材料は?人手は?制作可能な日程は?天気は?…
やったことのないことをしようとする時、先が見えない、予想がつかない、理想はあるがそのとおりにものごとは動かないことも承知で「ものごとの旅」はいつも始まる。
とても重要なファクターが2つあるとする、2つ揃わないと
形にならない、時と人のタイミングはいい時が少なく、ベストに揃うことは稀だ。
この人の都合がいい時はもう一人がダメであったり、人と材料があと先であったり…多くの人が関われば関わるほど、その調整は難しい…そんな行き違いの繰り返しでこの2ヶ月はアッという間に過ぎて行った。
よくトラックを運転したし、よく田んぼのぬかるみを歩いた気がする、そして重いものもずいぶん運んだ。気がついたら腕で足や胸の筋肉がこの間でついた感じだ、もちろん筋肉痛といっしょに…。

昨日は「茶室」のワラ屋根を完成させたので、水沢さんの家に古畳をもらいに行き、茶室に畳を搬入した。
3日には桜井さんの「魔女のお点前パフォーマンス」が見られるのか楽しみだ。



今日トラックに4回目の給油をした、いつも1回で20ℓ入れているので一ヶ月前良ちゃんに車を借りた時10ℓ入っていたとすると70ℓ走ったことになる。
リッター10キロとすると700キロ、ほとんど小原の中で乗ってることを考えると…やっぱりよく走ったと思う。
このところ良ちゃんのライトエースがいちばん運転しやすいと思えるようになった…。









…と言うことで3日のオープニング、やっぱり作家さん達は作品の前で、まだまだ手直ししたり、彫刻していたりと制作中だと思われるので、皆さん会場に来た時、作家さんが作業していたら「何か手伝うことある?」と聞いてみて下さい。
きっと「あぁ嬉しい…これお願いしていい…」と作品制作に参加出来るはず…「見に来るより、やりに来て…」



2012年10月29日月曜日

あんのじょう「ヤィヤァー祭」

追い込み作戦2日目やはり天気予報どうりの雨…昼過ぎまではこの雨ならという弱雨で来ていた作家さんだけで作業決行
…田中めぐみさんの「ハザ掛けウェーブ」は黙々と音もせず進行して行く。
少し雨が強くなったらブルーシートでテントを張り、黙々の続行、3時頃雨足が強くなると他の作家さんや助っ人の皆さんも作業を止め、ブルーシートの下に集ってきて、黙々から
ワイワイガヤガヤのワラ束作り、とにかく手数のワラ束作り作業は加速して行く…結果、ほぼ田中さんのハザにはワラ束がほとんど掛かった…雨対策に成功した作家の勝利宣言である、あとは作家の美学をどこまでこだわるかというところまで完成に近づいた。
上から見ると鎌の形をしているハザのウェーブ、休耕田の田んぼに久々に稲のワラ束が掛かる。

さて、例の桜井里恵さんの「茶室」のワラ屋根だが、小原のスーパーマンこと吉村のおじさんから「ダメ!こんなの乗せたら建てやが崩れるでぇ…」ということで、前日ボランティアの男手を投入して作った<ワラ屋根パネル工法>はあっけなく初めからやり直し…。
今夜のブログタイトルに「あんのじょう」と付け、漢字変換してみたら…納得。
「あんのじょう」は<案の定>と書くということ、ようは
<案>の<定め>、は最初から上手くは行かないさだめであったとさ…。

…ということで今朝から一日中かけ、ワラ屋根作りをゼロからスタート、ピッペン君、紀平君、長嶋さん、まりちゃんの
ヘルプも得て、今日8割方ワラ屋根がかかった…コジカカフェからのおいしいホットコーヒーの差し入れはとてもありがたかった…ありがとうね…。



さぁ明日はいよいよほとんど手つかずの石の彫刻やってる
豊橋の作家、平山君が彫刻作業にかかれるぞ。
今日の午後、吉村さんがユンボで長い時間かけて山から下ろしてくれた直径60㎝くらいの大木が君を待ってるぞ!
昨日からの「学び」は<あんのじょう>は<案>の<定>と
書く…ものごとプランどうりにはイカナイヨということ…。

2012年10月27日土曜日

「ヤィヤァー祭」追い込み作業日

今日は本番前最後土日2日間で予定していた「ヤィヤァー祭」の製作作業、明日は80%雨なので一日でやれるところまでと…30人以上のボランティアが集まり、朝から気合いも入りみんな頑張った。
休耕田は雨が降るとぐちゃぐちゃになるし、素材のメインのワラは濡れて扱いにくいし、竹は滑るし…なによりも手作業は進まない…呼び掛けに応じてくれた地元のおかぁさんやおじさん達、それに名古屋や豊田をはじめ小原以外の所からも
大学生や高校生、孫をつれた主婦など多様な人が助っ人にかけつけてくれた…本当に助かりました、ありがとう…。

今回参加の作家中いちばん若い23歳の田中めぐみさんの作品は<はざかけ>をモチーフにしたウエーブ、彼女は一晩会場の休耕田でインスピレーションが舞い降りるのを待って野宿した。
一反の田んぼを一日中かけほぼ一人でもくもくと草刈し、旧式の耕耘機で耕し、プロのおじさんから番線巻きの指導を受け竹でハザを作った。
のべ20人くらいでワラを束ね結び、ただただ気長に同じ作業をし続ける根気のいる作業、今日で三分の二のハザ掛けを終了した。

鈴木琢磨さんは小原の43ある字を案山子で表現したいということで、今日は小原の皆さん、豊田東高校の高校生らが中心となり朝から案山子作り…。
小原のおばぁちゃんや主婦の方達から頂いた古着を一体一体
古着やハギレの山から選び、じつにバランスのいい?おもしろいコーデュネートで仕上げてくれた。
今日一日で5mの竹の先に30体の案山子が空に揺れることとなった。
この作品、今日で50%の完成かなぁ…。


このほか、茶室を作って「お点前」のパフォーマンスをする
桜井里恵さんの茶室作りはワラで屋根を葺くところまでいったが、ワラの量が多すぎたのか重くて上がらなかった…どうしようかなぁ…。
「Guardian」守護神というタイトルの作品を作っている
土の造形作家オザワナオキさんの方は今日は予定の作業が
バッチリ出来たとのこと…ただし彼の作品はベースを作るところまでで、間伐材と竹とワラで出来た守護神をベースに
11/3から来場した皆さんに泥をぶつけてもらって完成させるという完全参加型の作品だ…11/3、4守護神を完成させるために、小原の小中学生が泥ぶつけに来てくれる。
皆さんも会場に来たら是非「泥ぶつけ」に参加して…。

開会まで一週間となったが、何ぶん野外での作業、雨が降ればできないし、人手がなければ進まないという製作作業、
きっと開会中も作っている作家さんがいるはず、もし会場に見に来ていたら手伝ってね…。

…しかし…明日の雨はイタイ…なぁ…。 

2012年10月23日火曜日

「ヤィヤァー祭」いよいよだ!


この4ヶ月あまり企画、準備してきたアートイベント「里山アートプロジェクト イン おばら」がいよいよ11月3日〜12月2日までの1ヶ月間にわたって小原の大坂〜北笹平一帯の里山、休耕田を使って開催される。
「小原でアート、なんのこっちゃ?」といきなりの話しに面食らったが、考えてみれば「自然界は全てがアート」だと思えば違和感のない話しだ。
名も知らぬ小さな虫を観察すれば、なんと美しい配色の模様であることか、四季折々の道ばたにさく5mmにみたない花の可憐と呼ぶにふさわしい存在美であることか、光りに近づこうと空に伸ばした木の枝の一本一本、全て一つとして同じでない造形の巧みさ…里山はアートで満ちあふれている。


また、誰が作ったのか、田舎道を歩けば廃材を集めて作ったであろう農小屋が時と雨風に洗われ、傾き傷んでは継ぎ足した補修の結果、絶妙のバランスで造形美を放っている。
秋の田んぼのハザもまた、インスタレーションとしての高い
完成度がある、竹で作られたイノシシよけの柵もまたしかり、棚田に調和した造形は見事なラインを形作っている。



「そうか!アートで満ちあふれているから<アート>がピンとこないんだ…」

今回、来年開催される「あいちトリエンナーレ地域展開事業」の企画として始まった<里山アートプロジェクト>は
ここから始まる…コンセプトは「森の記憶 里の回想」

…ハナとキノコとよく山に入るが、山の中で古いお墓を見つけることがある…嘉永◯年ペリーが来た頃か、安政◯年安政の大獄の頃か…長い小原の人々の足跡を強く感じた。
森も人もこの時のつながりの中に今だ息づいている、小原に
感じるふくよかで濃厚な空気は「時を断ち切らず、受け入れ受け継いできた有機的な関係性にあるぞ…」
そのことを「森の記憶」として「里の回想」として発信し、目を閉じ五感を解放し、感知することで「未来」からのメッセージに触れてみたい…と思った。


企画書とか書いても伝わらないと思ったので絵を描いた…
それからこの間の小原こだわりの材料集めとあいなる。

この間の準備期間、「巨大アートかかし」を作るワラを頂きにいろいろな所へ行き人に会い、ワラ満載のトラックを転がし、杉の間伐も素人ながらやり、竹もずいぶん切り運び…
何とか作家さんたちの作品それぞれのゴールが見え始めてきた。




「軽トラあんどんパレード」も予想していたより多くの
軽トラがパレードしそうだ…あと少しだ…頑張ろー!

次回は作家さんとその作品を紹介をしてさせてもらおう…。


タケウチの「軽トラあんどん」デモカー、夏祭りの夜
出しました…あんどんの中で影絵のパフォーマンスです。

イッツ・ア・ショータイム

 なんて日は早く過ぎて行くのか、時もまた早いぞ…こと座のベガ、白鳥座のデネブ、わし座のアルタイルという秋の大三角形といわれる星たちはもう山陰に隠れてしまう。
夜10時頃には白鳥座が頭を西に向け夜空を渡りきってしまう…同時に東の空から悠然とオリオン座が肩を持ち上げ、三ツ星を従えて姿を現す。
もう天空は秋の星座から冬の星座にバトンタッチだ。

ついさっきハナとキノコと外へ出た…昨夜はきれいな星空で長い尾をひいた流れ星を見たが、今夜は星ひとつ見えない。
今日の昼間、やたら虫が多かったが知り合いのおじさんが、今夜は雨が降るな…と言っていたとおりトタン屋根を冷たそうな音を叩きながら雨が降り始めた。
残念ながら星は見えないが、まだ冬の星たちとはこれからしばらくの付き合いになるんだから…

冬の星座といえば東の地平から出現するオリオン座ほど感動を与えてくれる星座は他にないだろう。

充分休息をとったバンドが一年振りのステージに立つ初日、
気合い満々で舞台緞帳の前にたつ、溜めに溜めた想いを一気にではなく、ゆっくり大きなクレッシェンドで幕を上げる。
さすがにいい演出だ…
この季節、まだそんなに寒くないので是非オリオン待ちをしてみて欲しい…朝日や夕陽が大きく見えるのと同じで、東の空にまぶしいくらいの一等星が2つ見えたらオリオンの登場だ、リゲルとペテルギウスにはさまれてベルトの三ツ星がゆっくり登って来る時がいちばん大きく美しいと思う…そしたらすぐに全体と対面できる。
空に昇りきったオリオン座を見るより大きな感動を与えてくれることを約束しよう…おいしい一瞬だよ。
気持ち良く小寒い秋の、今夜のBGMはBill Evans Trio の「Walts For Debby」、彼がどれだけ深く奥さんを愛していたのか、やさしくしなやかな指先のタッチで伝わってくる。
人肌の恋しい季節であることは間違いない…。

 







2012年10月12日金曜日

「馬方さん」になりました。

僕の住んでいる豊田市乙ケ林町は豊田市との合併前には小原村大字乙ケ林だったと思うが、その<字>の氏神様のお祭りが昨日あった。
そして<字>の西組(僕の属しているエリアの組)が今年は
「馬方」という5年に一回くらいまわってくる祭りを仕切る
担当であった。
「馬方」という役目がら馬のお世話をしていたのだろうが、もう30年くらい前から<馬>は出てないそうだ、昔は馬の背に大きな花飾りを乗せ、字の隅々を引き回し最後に宮入をする秋祭りだった。
「棒の手」の奉納もあったらしいので、祭りの系譜はいわゆる「猿投(さなげ)系」だと思われる。
人口の減少でパフォーマンス系の奉納がなくなり、馬が出なくても「馬方」というお役の名前だけが今に残されている。

祭りといえば若衆といわれる若者たちがデビューする大切な日で、馬方のお役が与えられるのは、まさに「ハレの日」であったにちがいない。
それはもう遠く昔の話しになり、今の長老さん達が子供の頃の話しのようだ…今はといえば若い衆がいないのである。
字の人も減り、賑やかな祭りの日を想像していた祭り好きの僕には「これが祭りなの…」と期待のしぼむ現実に淋しい思いがした。

「字に20代の若者って何人いるの?」「2人かなぁ…」確かにこれでは熱く燃える祭りは無理だなぁ…と納得。
朝の8時にお宮さんに行き、掃除〜のぼり立て〜しめ縄作り
や笹飾り〜林で玉串を作る榊の切り出し…とやることはたくさんある。
ここまでの準備は馬方さんが仕切りながら、字の衆が皆でやる、特にしめ縄作り(お宮さんのしめ縄は左縄といって、常は右に巻いて行く右縄とのこと)は年を重ねたキャリアでないと上手くはできない。
長老さんたちのなう縄は、手の平が自然に力のバランスを知ってるかのようにスルスルとわらを編み込んでいく、教えてもらっても僕の手の平は不自然な力の入れ方で、ぼそぼそした無様なワラの塊でしかなく、スマートな縄にはなってくれない。

結局、現在の馬方さんは神官さんのお世話や食事、村役さんたちの宴会の進行ということのようで、やることがなくても
お宮さんにいる、ということが役目であった。
昔の祭りは賑やかで、神社の小さな境内にも屋台や子供たち相手の出店が並んだそうだ…子供もいっぱいいた時だったんだろうが…。

しかし30分くらいの間ではあるが、神官さんのお祓い〜祝詞(ノリト)、字役さんの玉串奉納までの流れは<祀る(マツル)>という神事のいちばん大切な意味だけは残していることにうれしさを覚えた。
また、字の小学生たちだけは学校が半ドンになり、境内は一年に一度この日だけだろうと思えるくらい子供たちの声が満ちていた…神事の後の「おみくじ」以外に何もない祭りでも特別な一日なんだな…。
祭りの終わりは字の男衆たちの宴会というか懇親会で締めくくられ、一年に一度の「祭りの時」お開き…人々が帰った後は秋風を迎えた静かないつもの村のお宮さん。
…僕の「馬方さん」も5年先まで、しばらくはお役御免…。

*お役をしていて自分の字の祭り写真が撮れなかったので、
 今日行われた「上仁木/諏訪神社」の大祭の写真を載せます。おそらく小原で昔風の祭り風景をもっとも残していると
思われます。こちらは<矢作系>の祭りですね…。










2012年10月6日土曜日

バス停で迎え バス停で送る

公共交通機関で小原に来るには、名鉄「豊田駅」まで来て、それから2時間に1本しかない<上仁木(カミニギ)行き>の地域バス「おいでんバス」に乗って来るしかない。
そして竹内の家へくるには<寺平口>というバス停で降りるのがいちばん近い。
豊田から1時間15分くらいで着くのだが、この夏遊びに来た学生もそれでやって来た、「旅はどうだった?」と聞いた時…「街の景色からだんだん緑の量が増えていき、この辺まで来ると全部が緑になる、その変化が面白かった…と答えが返って来たのは嬉しかった。
ずいぶんたくさんのバス停で止まったと思うが、それぞれの町の空気を感じ、緑を感じて遠くまでやって来た学生に嬉しくなった。
聞くと大府から3時間以上かけて来たとのこと、「のぞみ」で東京と名古屋を往復できる時間は充分旅に値する。
僕はそうやって家へ来る客人を必ずバス停まで軽トラで迎えに行くことにしている。

長い時間バスに揺られ、緑だらけの小原に着き、次に軽トラの荷台で季節それぞれの景色と空気をまるごと感じてもらう
…春にはサクラやフジの花の下をくぐり、初夏には水を張った棚田にうつる空と雲に迎えられ、秋には黄金色の稲穂のジュータンの横をすり抜けて…5感全てで街で味わうことのない感覚を開いてもらいたいからだ。

僕はといえばバスが来る30分も前にバス停に行き、まだ来るわけもないバスを「今はあそこらへんまで来たかな…」と想像しながらバスの来る道を見ながら「待っている」。
<寺平口>のバス停は下り坂の途中にあり、坂の向こうの空から最初に見えるのはバスの頭からで、それから徐々に姿が現れてくる…来た!来た!という感じが嬉しい。
客人も時間をかけて来るのだから、僕も時間をかけて待つ…それが出会いを楽しくさせてくれると思う。

バスの中をうかがい「いた、いた、ちゃんと乗って来た」と
見つけるのも楽しい、そして「ようこそ小原へ」と旅人を迎えるのも楽しい…。
そして帰りもまたバス停に送り、見送る。
車で家の前まで、そして車で自分の家へ最短のルートで来て帰る、その出会いと別れとはまったく違う「間」のありようがバス停にはある。
先日、奄美から来てくれたヨシ君をバス停に送った時、バスの乗り込む彼に心の中で「良い旅を、良い人生を」と祈った僕がいる。
バス停の別れはまさに「一期一会」の瞬間を感じさせてくれるかのようだ…この次はいつ会えるかわからない…今日は来てくれてありがとう…「元気でね…」とバスが坂の向こうの空に消えて行くのを送る。
ただ、その後はとても淋しいけどね…。


2012年10月4日木曜日

羯諦羯諦波羅羯諦

ずーっと「人は自分の死に向かって生きている」と思っている、だから<般若心経>の最後に出てくる「ギャァーテイ ギャァーテイ ハラギャァーテイ」を声に出すのが好きだ。
「行く者よ 行く者よ 彼岸に行く者よ…」僕にはそれだけでいい。…だから生きている間は精一杯生きろ…と言われている気がする。

つい先日、今生きていることが奇跡に近い交通事故を体験した、高速道路で追い越し車線を走っている時、僕の左走行車線を走っていたダンプカーがトンネルの手前で急にウインカーを点滅させて右の車線に入って来た。
後でわかったことだが、トンネル内で工事をしていて1車線になっていた…左側のダンプが大きすぎて死角になって、工事中右に寄れのサインが僕には見えなかった…。
かなりスピードを出していたので、急ブレーキを踏むには遅すぎるタイミングだと思い「もう突っ切るしかない!」とアクセルを踏み込んだ。
僕の車は右側の壁とダンプの間にはさまる感じで、右タイヤは壁をこすり、左の後ろにダンプカーがぶつかってきた。
おそらく1秒にもみたない瞬間の差で僕の車はすり抜けた…
ダンプがケツを押してくれたような格好になり、今だから言えるハリウッド映画のカーアクションさながらな体験であった。
あそこでブレーキをかけていたらダンプの後ろに突っ込んでいたし、スピードが出てなければダンプは前の方にあたり、壁に押し付けられていただろう…。
事故後、ダンプの運転手さんが自分はウインカーも出してたし云々…、保険が云々…の話しが出てきたので、「僕生きてるんです、生きてるだけですごいです…お金がとか、そんな
話しじゃないんです…」と言ってその場を後にした…。
僕の前方不注意とダンプカーの後方不注意、きっとそれだけのこと…でも「不注意」ということが命に直結する、原発しかり、戦争しかりの…人のやること。
<行く者よ 行く者よ 彼岸に行く者よ…>あらためてリアルに思い、まだその時ではなく「生きろ!」と言われた気がした。
里の時は稲の刈り取りが終わった田んぼのまわりに彼岸花が美しく咲き乱れる頃…彼岸には花がいっぱいなのかな?

2012年10月3日水曜日

…な夕飯展開

今朝は朝から稲武までアートプロジェクトで使う竹を取りに行くことになり、ハナとキノコを助手席に乗せ1時間チョット、秋の矢作湖畔ドライブを楽しんだ…あまりクネクネと曲がる道に2匹はへきえきしながら付き合ってくれたが…
奥矢作湖の対岸は山裾にへばりつくような山里の集落が見え、やっぱりここはブータンだとあらためて感じた。
竹を小原の会場に収め、家に戻ると奄美大島で病院に勤めている岐阜県出身の理学療法士でサーファーでもあるヨシ君から電話があり、岐阜へ里帰りしていて、今名古屋で中野さん家族と一緒にいるんだけど「竹内さんの家へ行こうか…という話しになり都合はどうですか?」とのこと…。
中野さんとはCOP10で知り合ったガンバリ屋の女性で、今日は娘さんとお孫さんがいっしょに来るという。
ヨシ君は6年〜7年くらい前にやったエコストックというイベントの時、うちの奥さんがナンパした男の子で当時は会社勤めをしていたが、会社を辞め専修学校にかよい理学療法士になった、サーフィンが好きで奄美大島の病院に就職したという。
ヨシ君と中野さんは3/11の震災の後すぐボランティアに行った際、宮城県の七ヶ浜のボランティアセンターで知り合ったとのこと、そんな以外な出会いの2人がそろって小原に来てくれた。
ここからが本題に入るのだが…今うちの庭には周囲の景色を隠さんばかりの茗荷が林のように取り囲んでいて、僕は見たら取りたくなり、取れば大量の茗荷を人に配りにあっちこっちするしかなくなる、それはカナワン…と見ないことにしていたが…。
中野さんが「茗荷がいっぱいあるよ…」から「これ今から天ぷらにしましょう…」へ、そして畑からナスとツルムラサキ
が加わり、カボチャもプラス。
炭をおこし、中華鍋で野外の天ぷら大会とあいなった。
ひとり暮らしの天ぷらは春の山菜シーズン以外はしないと決めていたので、この展開はここならではの成り行きだ。
プリプリに太った茗荷を中野さんは「こんなの初めて…」と
ルンルン揚げてくれた。
おみやげに持って来てくれたキッシュと野菜天ぷらで今日の夕食はこれでOK!
中野さん親子孫は袋にいっぱい茗荷を持って帰ってくれたので、うちの茗荷も茗荷冥利に尽きるなぁ、良かった良かった…という話しで、今日の夕飯なんにしょうか?と悩んでいたので大助かりだったとさ…。
ヨシ君は今夜はうちへお泊まり、ちょっと目に力がないので
彼の話しを聞いてみよう…。
  



2012年10月1日月曜日

月が眩しい

昨日の13夜は台風で月が見られなかったが、今夜は月が眩しい光りを放射しながら、おだやかな薄い雲の波間夜の海をゆっくりと航海している。
首が痛くなるほど見上げて見入っていると、広い日本、広い世界でいったい何人くらいの人がこの瞬間を共有しているんだろう…とロマンティックな気分になる。
きっと月に見入られた人それぞれにその時は、それぞれがかかえたそれぞれの現実を外に置き、夜空に浮かぶ<月の舟>に乗り込んで、しばしの時の旅に揺れることだろう。
会うこともないあなたよ気持ち良く揺れてますか?
触れることもないあなたよ夜の海はやさしいですか?

満月の夜に息を引き取る人が多いという、「かぐや姫」の話もそれかもしれないが、月の光りにはエネルギーを吸収する力がひそんでいるような気がする。
そんな力に惹かれて天に昇るのもわるくないと思えるくらいに妖しい魅力がある…
あぁ〜こうしているたったの数分が人生の全てであるような
気もする…今夜の月との出会いに感謝…久し振りにロマンティックなおじさんになれたよ…オヤスミ…。