2013年5月29日水曜日

本当に久し振りにブログを書いてます、字が大きくていい。何故こんなにブログが書けなかったのか…それはfbを始め、どんどん時空を越える人間曼荼羅の世界に魅せられてしまったから…。
僕の場合還暦越えして、自分が生きてきた中で出会った人たちと、隔たった時間や空間を越えて魔法のように再会する…
「えぇ〜っ!」と出会う瞬間「自分が生きてきた時と場」を想うのです。
それは何十年という過去の出会いから昨日という過去に出会った人まで…。
なのでなので<fbの旅>まだ暫くはやめれません。


さて、今日はブログを見て下さった方たちにライブのご案内です。昨年は小原の我が家でライブをしてくれたジンバブエのジャナグルが、今回6月21日(金)に豊田市松平でライブを行います。
写真は昨年の自宅ライブの時のもの…。


彼らとは8年前に出会いました…万博で演奏の機会があり来日したおり、愛知県蒲郡市での地方巡業の時でした。
あまりに楽しく体が動いてしまうので、おもわずステージに上がり込み一緒に踊ってしまったのが出会いの始まりです。
その時の南部アフリカ系というのか、一切ソロをとらずひたすら心地良い独特のリズムを刻んでいたギターが印象的でした。
そこでマネージャーをしていた小樽出身で20年ジンバブエ/ハラレで暮らす高橋朋子さんとも出会いました。
ボブマーレーの大ファンでOLを辞めてジャマイカへ行こうと計画していた時、その前にボブマーレーが独立記念コンサートで演奏したというジンバブエへ行ってみよう…と行ったのがきっかけで永住を決めたという女性です。


ジンバブエで現地の
ミュージシャンがあまりにもひどい理不尽な扱いを受けていることに対して、ジンバブエ人のための
アートセンター計画を作ろうと決心し、今それは音楽スタジオ、ダンススタジオとして実現しました。

そんな出会いから始まった高橋さんやジャナグルとの付き合い、今回は4回目の来日コンサートです。
最初に会ったギタリストは2回目には来ず、聞いたら「彼はエイズで死んだ」とのこと、2回目に来た時の素晴らしいドラムを聞かせてくれたチャムは来なかった、聞いたら「彼はエイズで死んだ」でした。
彼らに限らずアフリカのミュージシャンだけでなく人々は「今日生きている、明日も生きているといいな」と今あることを全力で喜び唄い踊っているように感じます。

今回来るメンバーはジンバブエの天才少年といわれるティチャファラを中心に6名のミュージシャン/ダンサー達です。
高橋さんが25年かかって立ち上げた<ジャナグルアートセンター>で育った少年少女たちが、伝統楽器(ンビラ/ンゴマ)に合わせて唄い、踊ります。
ダンスのワークショップ、パーカッションのセッションもやりますので、一緒に叩きたい人はパーカッション持ち込んで下さい。
ライブ終了後、高橋朋子さんのトーク
      「アフリカの今、そして未来」をやります。


高橋さんは言いました…「アフリカの音楽は譜面で伝えるのではなく大人たちから子供たちに伝承して伝わる、なのでそれを断ち切ると消えてしまう…」と。
日本の多くの伝統芸能が高度経済成長の過程で、祭りの担い手である若者たちがふる里を離れ、祭りが出来なくなり、お囃子の笛、太鼓の伝承が多くの土地で絶たれたのは最近の出来事です。
僕は「文化の絶滅危惧種」と呼んでいますが、グローバル化というものがもたらすものは、まさに固有の民族文化の絶滅
化でもあると思っています。
お時間のある方、是非おいで下さい。






2013年5月1日水曜日

明日は「やまぶき」の花束を



今日は朝からの雨、なぜかとても淋しい気持ちになる春雨。夕方に雨はあがったものの、夜の9時過ぎ家のまわりは霧に包まれて霞んでいる。夜行性の動物たちもひっそりと籠っているような静かな夜。


*今朝、春雨で煙るの窓の外
小音量でかけてるビルエバンスのピアノも、窓からもれ出し霧の手の平に乗り森中をやさしく撫でて廻ってる気がする。
今日で4月も終わり明日から5月、一年の三分の一が早過ぎた、今年は隠居も「隠れて居ない年」にしようといろいろ地域や若者たちにおせっかいを始めた。
「オバラ体操」も始まりそうだし、さっきは「小原農村歌舞伎」のリーダーという人にも偶然出会った。
「生活=生てることを活かす/活かして生きる」でもあるから、みんなが引き出しの中に眠らせているその人の「お宝」を引っぱり出すおせっかいが竹内的隠居だと思い動いている。
このところ特に人の持つて入る「人間力」がサービスとかテクノロジーとかに任せっきりになり、どんどん喪失しているように思えてならない。
その人の「お宝」って、その人にしかない<人間力>のこと、田舎に来て良かったと思うのは自分の出来る範囲がどんどん広がっていること。



還暦を過ぎても「これが出来るようになったとか」自分の可能性が広がるのは楽しい、やむにやまれぬ状況に身をおくことと、それを受け入れることで人は展開を始めるような気もする。

*写真は去年還暦記念で作った東屋、屋根も一人で上げました。下は掘った池、今は「やまぶき」がきれいです。


僕の場合「みんなにやるって言っちゃったし…」から始め、
やる以上「らしく…ないと」と納得できるところまでやる。
そうすると何とか出来てしまう、当然出来ないことは出来る人を必死で探し出会い頼み込むことになり、出来る人の輪が
結局広がる。この繰り返しの人生だ。

今日は朝からめちゃ肩が痛いというか凝ってる、何故だろう?も答えがすぐわかった。昨日今年初めての草刈りをした
…で、草刈り機の刃が古く先も丸いのでやった、その結果肩や腰に負担がかかった。という具合に理由もわかるようになった。「刃をかえなくちゃ」である。
やってみないと分らないことだらけの生活を始めることで、いろんなことが分るようになる、いくつになっても新しい経験を積むことが可能性の扉を開けてくれる。

明日は妻の誕生日、彼女の誕生日前後は必ず池のまわりが
「やまぶき」の黄色い花が乱れ咲く。
明日はその花で花束を作って届けよう。