2013年2月13日水曜日

ここの人になった実感

一週間ほど前ハナとキノコの散歩に出た時のこと、家から
さほど離れていない山道を歩いていた。
ハナとキノコは僕をおいて先へ先へと行ってしまう、横を
小さな沢が流れている所で2匹が視線は一点に釘付けになったまま戦闘姿勢で固まっている。
僕も2匹の視線の先に何があるんだろうと近づいた時、沢を越えた向こう側、10mくらいしか離れていない草薮の中から突如雲がわくようにイノシシの巨体がもそもそと持ち上がった。
重そうな体を揺すりながら反対側の斜面をと登りその先の薮に消えて行った。
大きさは子牛くらい、きっと重さは130キロくらいある大物だった。

   *以前ハナが第一発見者で獲られた150キロの
    イノシシ

問題はその時の僕の反応である…。
まず「デッケェ〜ッ!!」とその大きさにビックリした、その次に声に出たことが自分でも感心してしまう一言だった。
犬に言ってもしょうがないが声に出た言葉は「うまそう!」
であった。
2月のこの時期のイノシシ、発情したオスは何も食べずに
山の中をメスを求めて走り回りガリガリに痩せているので
食べられたものじゃない…と聞いていたから…。
今、目の前のボテボテの体を揺すって動いてるのはメスだ!
世の中で僕が脂身のうまさではイノシシがいちばんだと思っている僕は、大量の脂身で包まれたこのメスはどれだけ甘みのある肉が取れるのだろう…みんなに食べさせてあげたい…と想像し、そして何も手が出せないことが残念でしょうがなかった。
10mの至近距離であの巨体を前に怖いとか思わず「うまそう!」というのはまぎれもなく「小原(ココ)の人」になったという実感がした。
今年はイノシシが出ても罠にかからないとのこと、逆に罠の在る所は警戒して近づかないと多くの人が言っている、彼らも生きるためにどんどん学習しているようだ。

  *ハナとキノコが第一発見者の120キロのイノシシ


しかし…
「野生」という自分の身ひとつで生きている生き物たち
のなんと存在感のあること、この間見たキツネにせよ、野ウサギにせよ、このイノシシにせよそのオーラが発する孤高の気高さ、凛とした存在感は「神々しい」という言葉がピッタリだ。
神が宿っているいるのか、神と共にあるのか…自然の一端で
在ること、生まれおちて自ずから然りと時を食み、子孫を次に残すことをミッションに生きている。
「自然」に神が宿っているとすれば彼らは全てが自然で、神々しい訳だ。
…そのイノシシを「うまそう!」とは、僕は「ここの人」になった気がする。

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