2012年9月12日水曜日

村民がカッコイイ

僕が小原に来ていちばん欲しかったものそれは「小原村の住民票」でした。名古屋市中区大須…から<愛知県西加茂郡小原村大字◯◯」というやつです。
別に1枚の紙切れの住民票で人が変わる訳ではないが、街と明確に違うという意識がいつも自分にくっ付いてる気の持ちようは大切なことで、まさにアイデンティティに関わると思える。
小原で出会った流嶋さんというグラフィックデザイナーがいる、彼は小原生まれで高校を出てから名古屋を拠点にデザイン事務所を持ち仕事をしていたが、事情がありUターンして小原の実家に帰って来ている。
先日僕の家にひょっこりやって来た、話しの中で僕が「小原村民>というTシャツが欲しい…」と言ったら、小原の人は<村>という響きが田舎くさくてイヤだと思うよ…と言われた。そんな気持ちはよくわかるが…。
田舎が好きでここへ来た僕には<村>は誇りのシンボルだと思っている「みんな田舎に引っ越しておいでよ」と誘う側の僕にしてみれば、田舎においでよというより「村においでよ」の方がうんと人とか生活のイメージがある。
都市と田舎というのは文明的な対比で、<街と村>というのは文化的な相対として感じるものがある。
日本のかかえる多くの問題は人口の集中している都市の問題であり、病根は消費文化の末期症状、ようは「豊かになれない未来」からきているのだろう。
前回書いたが僕が小原村に惹かれた理由は「和む」からで、
和むとはまず食うことはなんとかなるから始まる、街と村の生活文化のスタートラインの違いがこの先の時代に大きな意味を持つことは断言できる。
村の生活文化は次世代へのメッセージを発信している、村で自然と折り合いつけながら生きて行くこと、それは豊かで誇りある人生の時を過ごすこと…今こそ「街で疲れてるみんな、村で暮らそうよ」と呼び掛けたい…流嶋さん、だから「小原村民」のカッコイイTシャツ作ろうよ…。


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