2012年9月18日火曜日

「間」抜け

高度情報化社会といわれて久しいが、この時代を「間抜け時代」と呼びたくなる。時間は「時の間」だし、場は「空の間」だし、人間は「人の間」だ。小学校に入ってはじめて作文を書く授業があった、その時の先生が「いつ、どこで、だれが、何をしたかを書けばいいのよ」…この言葉は今でもずっと頭に残っている。
…大人になってふとそれを思い出した時…<いつは時間、どこでは空間、誰がは人間>、物語はその「3つの間」の中でおこる出来事ってことかと自分に落ちた。
僕は小原に新しい「空間」の中で残された人生の<生と死>という「時の間」を味わいたいと願って来たんだと思う。
北三河という愛知県北部の中山間里山地域、稲武、旭、足助
、小原、下山…いろいろまわって小原に来たのは前にも書いたけど、とにかく「和む」という理由だ。
何故「和む」を求めて来たのか…街にそれが見つからないから…小原には「いい間」があるから…。
街の生活は情報という食べられないのに追っかけてないと不安になるという実体のないものにびっしりと「間」を埋められている気がする。
もう10年以上前にある街で子供のミュージカルを制作したことがある、練習の休憩時間になると子ども達がみなノートを開いている。何を見てるの?と聞くと彼らはスケジュール調整をしていた、そのノートはスケジュール帳だった。
「◯日の金曜日は…?」「ダメ、ピアノ…」「×日は…?」
「あー、水泳教室」…という具合、とにかく友達同士でスケジュールが空いてないことに安堵してる様子。
スケジュール帳に予定が入ってないことが不安になる、そんな子もいた。彼らはもう20歳を越えて、きっと今はスマホにいっぱい情報を詰め込んでいるような気がする。
土日の多くの人でいっぱいの大須の街を人にぶっからないように歩いていると、人の間からそんな情報が溢れて流れ出し出し自分のまわりにまとわりついてくるように感じる。
狭い小さな部屋になんでもかんでも詰め込んで、自分のいる場所さえなくなってる、なんで追っかけてるかわからないけど追っかけてないと不安になる…いらないもの捨てて「間」を作ろうよ。その「間」中で自分の大切なものを育ててみようよ…。
車のハンドルの遊びではないが、「間」を失うとちゃんとしたコントロールが出来なくなるよ。自分にとって本当に大切な情報も閉め出しくらって入ってこないよ。
みなさんも自分の大好きな場所で「時の間と人の間」を味わうこと忘れないでね…。



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