2013年6月18日火曜日

僕らは誇れる文化を繋げるか…

今から25年くらいも前、ということは4半世紀前になるのか!僕はセンチメンタルファミリーという音楽プロダクションをやっていた、今年結成40周年を迎えるセンチメンタル・シティ・ロマンスのマネージメント事務所として16年間音楽に関わってきた。
そこで出会った多くの人たちが僕の大きな財産で、21歳の時から37歳まで、ある意味「青い春」の素敵な時を音楽を通した出会いの中で過ごせたことは幸せなことだった。
しかしプロダクションの社長をしていてもビジネスは嫌いだった、自分の中でビジネスは後で付いて来るものだ…という意識が強かったから…特に音楽ビジネスとは「音楽」が先にあって「ビジネス」が付いて来るわかりやすい世界だと思ってやっていたから…。
音楽ビジネス、きったそれは<マインドビジネス>という言い方がピッタリで、音楽という心の世界があってビジネスになる、それが当り前な世界だと思っていたから…。
残念ながら後半80年代も半ばを過ぎる頃から、レコード会社に代表される音楽ビジネスの在り様は、マインドは置いておいて<売れる=カネ>への執着が強すぎ、それなら音楽じゃなくて<もの>を売ればいいじゃん…と嫌気がさしてきた。
ということでメンバーが殆ど東京での仕事が増え、引っ越して行ったのを機にその世界からサヨナラした。

その頃はアジアやアフリカを中心に民族音楽ばかり聴いていた。そこにはビジネスが先にたつ、いわゆる商業音楽にはない<生活音楽>とでも言ったらいいのか、その地の気候風土から根をはやし、そこと切り離せない民族性や文化がそのまま然り…と音楽になっているだけという世界を感じた。
僕の中で音楽はそこに在るものとして無作為な人の生活と心を感じさせてくれるものだった。
そんな中で出会ったジンバブエのグループが<ジャナグル>
だった、あれは万博のあった年…愛知県のとある地方都市で
体験した彼らのステージ…活きたリズム、生きた歌と演奏、
活きたダンス…すべてが彼らの中から自ずから然りと体を通して表現されプリミティブでフィジカルな陶酔感を味わった。
あの時のドラムもギターも若くしてエイズで亡くなり、今思えば生きている間は短いことを織り込み済みのパワーであったのか?とも感じる。
「明日ジブンは生きてないかもしれない」ということがリアルな人生、世界は今日しかないと思いながら生きている全てを今現す瞬時のエネルギー…そこに作為は必要がなく、心と体のままに今を生きるアフリカの魂を感じる。
6月21日(金)彼らが次世代に残しつなぐジャナグル・ジュニアが豊田にやって来る。
時間があれば是非来て欲しい…日本に暮らす僕らは次世代に
残しつなぐ自分たちの誇りえる<文化>を持っているだろうか?

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