2012年11月12日月曜日

「ヤィヤァー祭」30分の質。

「ヤィヤァー祭」が始まり10日が経とうとしている、
先週の土曜日に一応全ての作家さんが作品を完成させた。
そして出来上がった作品に手を入れ、まだまだ自分なりに
進化させようと頑張る作家さんも入る。
何事にも言えることだが「モノコトを作る」という時は
どこで終わり、どこで止めるかがポイントになるのだろう。
足らなくてもやり過ぎてもバランスを失う、いい塩梅とは
よくも言ったりだ、少なければモノ足らない、多ければ辛い
…「これでよし!」と<その時>を計れることが体験値というもののように思われる。
そう言う意味で今回の若い作家さんたちはそれぞれに体験という、いい勉強をしてると思う。




昨日はいまいちの天気にもかかわらず多くの人が会場に
足を運んでくれたし、今日も平日で雨の予報が出ていた
ので人は来ないと思っていたが、それなりに会場を歩く
人たちの姿が見えた。
「どちらからおみえですか?」と聞くと碧南市ですとか、
岐阜からです…とかいろいろな所から小原まで足を運んで
下さっている。
そんな時、必ず僕は「とにかくここを歩いて下さい」と
言う、作品がなければ休耕田の草ぼうぼうというこの場に
足を止め、立ち止まる人もいないだろう。



でも今回、作家それぞれの思いと情熱が込められた作品に
目を留めながら、紅葉の始まった秋の里山をそぞろ歩く時、
都市の草も生えない灰色のアスファルトの道を歩く30分と、起伏に満ち、曲がりくねった土色の里の小道を歩く30分の違いを感じてもらえればこのイベントは大成功だと思う。
それは30分であれ、たったの10分であれ、自分に与え
られた<時>という貴重な宝物の価値をあらためて考えさ
せてくれるだろう。それは<時の質>と言ってもいい。



作品の良し悪しという評価ではなく、そこ生まれのそこ
育ちの素材が作家という人の手によって再構成され表現と
して、その場に存在していることで、<その場>という
環境すべてが今までと違う発信をしだす、今回僕はそのこと
を体験した。


所詮人のやること、されど人のやること…それぞれの作品
が小原のなごみある里山風景を際立たせてくれている。
この季節、ほんとに日々まわりの色が変化する、紅葉は
昨日と今日、たった一日で子供から大人へ変身する。
 

この一本一本の樹が個性を輝かせ自己主張する秋のわずかな
ひととき、里への回想を体で受け止めて欲しい。


同じ時間でも確かにちがう時のあること、30分でいい
この場を歩きに来て欲しい…。





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