2012年12月19日水曜日

あとの祭が好きだ

一昨日は作家の小沢君と鈴木さんの3人で小沢君の作品
「守護神」を解体した。
彼はもともと「土」で制作する作家なので、わら、竹など
の素材は初めてだという、制作前に見せてもらった作品の
イメージは最初の2週間くらいで見えなくなり、素材との
格闘が始まったように思えた。
格闘から交渉へ最後には受容というプロセスがあり、交渉〜
受容の段階で彼の作品は<神>と呼ぶのか<自然界の魂>
と呼べばいいのか目に見えない力とのコラボレーションで
あったように感じる。
なので別の言い方をすると<生(ショウ)>が入っている
オブジェが出来てしまった。
ましてや出来上がった作品には多くの人が様々な思いをこめた泥をぶつけているのでなおさらだ…。
解体する前にお寺の和尚さんに来てもらい、お経をあげて
ちゃんと送ってもらおうと生抜きをして頂いた。
解体は一日かかって無事終了。

昨日と今日は最後に残った桜井さんの作品「かかし庵」の
解体作業、小原に住む自由人なクリエーター景山タクミ君
が2日とも手伝ってくれて解体を終えた。

やっと「あとの祭」を味わえるという明日が来る、僕は
祭の準備をするプロセスと終わってまたもとに戻る時が
好きで、まさに「ハレ」から「ケ」に帰って行く淋しさが
たまらない。
日常という「ケ」の世界に突如「ハレ」という祭がエネルギーを注入し、日常ではない楽しさ、歓びが与えられる…
それも世間一般でいう金にもならない「遊び」である。
遊びが日常生活をどれだけ豊かにするか、遊びのクリエーションがどれだけ「人間力」という可能性を広げるか、
実感としてそれが生きている魅力だと思う。
だからイベント屋という仕事もしてきたし、イベント会社
でお金がついてまわるのがイヤにもなったんだと思う。


犬山とか半田、常滑とか愛知県は「山車祭」が盛んだが、
祭が終わり、それぞれの山車が提灯の灯りを揺らしながら
それぞれの町内に戻って行く後ろ姿「祭はもう終わりだよ
また来年まで…」と遊びのエネルギーを使い尽くして淋しく
路地に消えて行く瞬間の移ろいに<あとの祭>の美しさを
感じる。
小原の「ヤィヤァー祭」、作家さん達が思いとエネルギーを
注入した作品たちの姿は里山から消え、紅葉で燃えた山々は
葉を落とした木々がエネルギーを溜めに眠りに入った。
また来年、目覚めた時に<祭>に会えるといいなぁ…。
雪の日に撮った写真を添えて…。




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